2008年9月9日火曜日

9/9 Today 天武天皇没(686)……「勇猛果敢首尾一貫」

壬申の乱で勝利した大海人皇子(天武天皇)が死んだ。
天武天皇 - Wikipedia: "天武天皇(てんむてんのう、舒明天皇3年(631年)? - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、『皇統譜』によると第40代に数えられる天皇(在位:天武天皇2年2月27日(673年3月20日) - 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。"
その決断力と行動の速さでとても魅力的な人物であった。膠着して退嬰しきった社会を改革するにはこのような人物が必要なのだ。

天智天皇からの譲位の持ちかけを陰謀と見抜き、即日頭をまるめ僧形になり近江京から吉野に逃げる。「虎を野に放てり」とはこのこと。すぐあとの672年6月24日、追っ手を避けて40名あまりで吉野を脱出。27日には関ヶ原に達し、実に数万人の兵を動員。7月23日には近江大津の朝廷軍を全滅させ、直前に病死した天智天皇の子で即位していた弘文天皇を自死に追い込む。8月25日には戦犯処分、9月15日には飛鳥に帰還、この年の12月に飛鳥浄御原宮で即位して、天武天皇となった。まさに人間業ではなかった。

柿本人麻呂はこう唱った:
大君は 神にしませば 水鳥の すだく水沼(みぬま)を 都となしつ

「天武天皇は神様だからこのような水鳥しか住まなかった沼を新しい都(飛鳥浄御原宮)に変化させたのである」というような意味だが、大海人皇子の疾風迅雷の神業に当時の宮廷人たちが絶大なる畏敬を抱いていたことが分かる。この権威は続く持統天皇にも引き継がれて行く。彼女は大海人皇子と一緒に吉野を脱出した、いわば一番最初からの戦友だから当然といえば当然。

この話はどう見ても日本史とは思えないが、日本にもこういう歴史があったのだ。若い人たちも、無能な既得権集団の日本支配はぶっ倒すという気概を持って欲しいな。

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